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『ひかりクレストプレコ』開発秘話

プレコ専用の餌である「ひかりクレストプレコ」。
人工飼料での餌付けがむずかしいロイヤルプレコへの唯一の飼料であり、
そのボタン大の円盤形状は他に類を見ない。
この独自性に富んだ餌の開発には、
プロジェクトメンバーの「熱い思い」があった。
当時のプロジェクトメンバーである2名に開発秘話を語ってもらおう。

水上司・山本直之

ひかりクレストプレコの開発に携わった、
株式会社キョーリン/営業本部長:水上司(写真左)
キョーリンフード工業株式会社/部長:山本直之(写真右)


プロジェクト始動……しかし難関が山積み
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プレコという魚は、警戒心や縄張り意識が強くて、飼育しにくい魚種という印象があります。そのプレコに与えるための餌は、どのように開発されたのでしょうか。
山本
1989年に、「ひかりクレストプレコ(以下、クレストプレコ)」をはじめとして熱帯魚向けの人工飼料を開発するプロジェクトチームが社内に設置されました。
当時私は入社したばかりで、熱帯魚などまったく飼育したことがなく、生態についても無知でした。入社した年にプレコの餌の開発プロジェクトが発足して、いきなりそのグループに加わることになったのです。
私はキョーリンフードのスタッフとして参加し、キョーリンからは水上さんがプロジェクトに参加していました。プロジェクトのメンバーは、神畑養魚からのスタッフも含めて、神畑グループ全体で6名ほどが選出されました。
水上
その当時、熱帯魚の生態を知っているスタッフが、キョーリンやキョーリンフードにはさほどいませんでした。プロジェクトメンバーはまずプレコを知るところから始めなければならなかったのです。神畑グループは錦鯉を母体とする生体・飼料の生産業で発展してきましたが、ここ15年程度で熱帯魚の飼料シェアを大きく飛躍させています。ちょうど、このプロジェクトはその方向展開の起点となったのです。
山本
プロジェクトメンバーの中で、とくに熱帯魚に詳しかったのが水上さんでしたね。
水上
私はたまたま子供の頃から熱帯魚が好きで、それが高じてこの会社に入ったものですから、プロジェクトに参加した時には「いままであたためた想いを形にしたい」という願望がありました。しかし、はじめて新しい分野……熱帯魚の分野に挑戦するというプロジェクトでしたから、簡単には進行しませんでした。
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錦鯉や金魚の餌が、そのまま熱帯魚に使えるとは思えませんから、言わば「一から作る」ことになったのでは?
山本
そのとおりです。当時われわれが作っていた既存の餌を与えても、プレコはまったく見向きもしません。食性がまったく違うわけですから、「既存の餌をちょっとモデルチェンジしただけではダメだぞ」とすぐに気づきました。
水上
錦鯉や金魚は昼行性かつ雑食性であるのに対して、熱帯魚の場合は、昼行性と夜行性に分かれ、肉食主体と草食主体と雑食性などと嗜好も異なります。同じプレコであっても、その特性は多岐にわたっています。
まずプロジェクトの取っ掛かりとして、熱帯魚の品種を全般的に見て、「どの餌が必要なのか」「どの餌が存在していないのか」という検証作業から入りました。当時から、プレコという魚に興味があり、また市場の人気も高かったのですが、特定のプレコに適した餌がありませんでした。その餌を開発したかったのです。
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どんなプレコですか。
水上
それが、「ロイヤルプレコ」や「ブルーアイプレコ」などの「パナクー」と呼ばれる品種です。
他のプレコは雑食性の傾向が強くて、沈下性の胚芽飼料を入れると食べるのですが、パナクーはそれを食べないんです。この種は大きく食性が分かれているプレコの中で、とくに人工飼料による投餌が難しい魚種とされていました。デリケートな魚であり、他のプレコが食べる餌でも食べずに、結局餓死してしまいます。
プレコという魚は、背中側は非常に固い鱗と骨格におおわれていて、腹側は水底に引っ付いているため、他の魚と比べると、外見的に空腹であることがわかりにくいのです。つまりお腹が引っ込んで餓死しかけていても全然わからないのです。マニアになりますと、ある程度目の落ちくぼみ方などで判断できますが、一般の方はまずわからない。死んではじめて、お腹がぺこんとしている姿を見て、「ああ、何も食べてなかったんだな」とわかります。
山本
私のほうは、熱帯魚を全然知らないままにプロジェクトに参加したので、プレコの餌を作る時に「プレコとは何ぞや」というところから入りました(笑)。それでまず、熱帯魚マニアである水上さんのアパートへよく見に行ったりして、プレコの生態を学ぶところから始めました。
水上
あの当時、私のアパートに九十センチ水槽を三本ほど置いてありましたね。
山本
彼のアパートに行くと、窓の桟敷にプレコの死骸(ミイラ)が並べてありまして……、「いまの餌では、食べずに死ぬんや。餌がないと、いつまでも餓死してしまう」と涙ながらに訴えるんです。それを見て、「力を貸してやろう」と、その涙に動かされた感じでした(笑)。
また、餌メーカーとして、ユーザーが必要としている商品を開発するのが基本ですし、どこも作っていない餌を開発して世に出したい、という気持ちが強く起こりました。
 物を作るということは「その商品を出して世を驚かせたい」という気持ちが強くないと、他と差別化できる商品はできないと思います。「こんなものを作ったんです、まずは見てください、使ってください」と市場にアピールし、ユーザーから「おおー、これはすごいな」と驚く声をもらいたいのです。
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しかし、既存の餌がないわけですよね。ゼロからの商品開発になったと思うのですが、まずはどうやって開発を始められたのですか。
山本
まずは、何を食べるかどうかという生態調査です。ありとあらゆる食べ物を与えました。思いつくものはすべてやったように思います。野菜だけでも、十種類以上は与えました。一般的な飼料である赤虫なども与えました。
このプロジェクトは自分の原点だと思っているので、当時のプロジェクト資料をすべて保管していて、そこにはさまざまな食物による嗜好性のテスト表などが残っています。
ロイヤルプレコを対象にして、それぞれ茹でた食物と、茹でない食物を比較しています。いも、かぼちゃ、たまねぎ、ほうれん草、にんじん、きゅうり、ごぼう、なすび、オレンジなどを与えました。また、キョーリンから出しているウサギの餌やらんちゅうの餌も与えました。
当時はまだ、グループ内の研究所や実験室がなく、それぞれのメンバーのアパートが研究室代わりになっていました。みんな半強制的に飼わされて、部屋が飼育室になっていましたね(笑)。部屋に水槽を6本も置いていたところ、冬になりコタツをつけると、ブレーカーが飛んじゃうんですよ(笑)。実験飼育のために、冬の寒さを我慢していました。
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    製品開発中の詳細な資料……苦心の跡がうかがわれる